クリニック第三者継承 成約事例インタビュー『西荻聖和クリニック』

成功のポイントは前院長の後継者イメージと新院長の開業イメージの合致。三代目の第三者継承で地域の心療内科医療は確然とつながれた

今回クリニックを継承した根岸鋼前院長(左)、丸山悟史現院長(右)

東京都内の住みたい町で例年上位にランクされる吉祥寺の東に隣接する「西荻窪」。都会の喧噪とは無縁の控え目な印象は、西の吉祥寺、東の荻窪、南の高井戸の狭間という位置関係によるものかもしれない。
それでも、武蔵野の自然を残した住宅街に、個性的な品ぞろえの書店やアンティークショップ、ギャラリー、古民家カフェなどが並び、洒落た佇まいのカウンターカルチャーを形成している。
あえて「ニシオギ」にこだわり、居を構える人たちが地元を愛する所以が穏やかな薫風とともに感じられた。

西荻窪駅前の「西荻聖和クリニック」は1987年に根岸鋼先生が創設者のバトンを受けて開業した。そして2021年2月、クリニックは丸山悟史先生に継承された。
つまり、クリニック名はそのままに、三代目の第三者継承ということになる。

根岸鋼前院長のクリニックでの最後の診察日となった2021年2月26日は、朝から60人ほどの患者さんが駆け付け、慰労会さながらの賑わいだった。
ここに前院長に寄せられる信頼の高さと、地域における長年の功績がうかがい知ることができる。
根岸鋼前院長、丸山悟史新院長のお二人に話をうかがった。

心身医学の基本として学んだ内科医療

――まず根岸前院長におうかがいします。先生のご経歴を拝見すると、日本医科大学第二内科、防衛医科大学第三内科、そして日本医科大学で病理学も経験されてきました。そうした中で、心療内科はいつ学ばれたのですか。

(根岸先生)元々精神科領域には興味があって、大学卒業を迎えて精神科医局で先輩から話を聞くなどしていましたが、心身医学の勃興期だったこともあって、心療内科へと興味が移りました。
そこで、東京大学の心療内科に入局を希望したのですが、まずは内科を勉強してきてくれということで、内科教室をいくつか廻りました。
ところが、いざ東大に行こうとしたら今度は全国から若い医師が集まっていて私の入れる余地がありませんでした。これはダメだと思って防衛医科大学に心療内科を作っていただいて、内科と並行して心身医学をやり始めたわけです。
一時期、病理学を学んだのも、内科の基本を深く知るためでした。

――自院を開業したきっかけは何だったのでしょうか。

(根岸先生)日本中がバブル景気に沸いた昭和の終わりに、私は35~36歳で大学病院の助手を務めていたのですが、当時の私の月給は30万円程度で、足りない分をアルバイトで何とか補っていました。一方で、近所の30坪程度の家の値段が億単位に高騰しているわけです。これでは金を稼がないとこの先家族を養っていけないなと(笑)。
大学に残りたい気持ちもありましたが、講師、助教授と上位のポストを目指すためには、いろいろな研究テーマを出して後輩も指導しなくてはならないわけですが、私にはそこまでのアイデアが思い浮かばず、だったら開業しようと思ったわけです。

――西荻窪というエリア・立地へのこだわりはあったのですか。

(根岸先生)いや、そうではなく、実は丸山先生と一緒で、私も西荻聖和クリニックを創業者から継承したのです。
当時、JAMIC(日本医療情報センター)の社長が私の大学の先輩だった関係から、自宅に割と近い西荻窪で心療内科クリニックを手放してもいいという先生がいるという情報をいただき見に来ました。
西荻窪駅前のビルで周囲に競合もなく、ここなら集患が見込まれるだろうと、とくに比較検討することなく、案外簡単に継承を決めました。
隣の吉祥寺にも看板が出ていましたから勿体ないので(笑)、クリニック名も継承時のまま変えませんでした。

診療スタイルの礎は、禅定と仏教からの学び

――根岸先生の診療スタイルの基本はどこにあるのでしょうか。

(根岸先生)学生のころから「禅」が好きだったのですが、禅を学ぶと呼吸法の指導ができるようになります。睡眠療法もかける側になって訓練を積みました。
そのほかに、当時カリフォルニアにあるエサレン研究所(Esalen Institute)がワークショップで東洋医学を取り入れ、人の存在に重点を置いて気づきを得るゲシュタルト療法や、心理療法と瞑想を融合させたハコミセラピーなどの新しい心理療法を展開していたのを勉強しました。
内科医だったころから、このクリニックでの診療にいたるまで、それらの勉強を活かしてさまざまな認知療法、認知行動療法に応用してきました。
そうするうちに患者さんが増えてきて私一人ではとても手が回らず、専門カウンセラーによる心理療法を並行して行ってきたわけです

――先生の医療の特徴でもあり、著書「トラウマに挑戦」にも書かれていた「仏教的心理療法」についても解説していただけますか。

(根岸先生)高校時代から、インド仏教の僧、龍樹が実態の存在を否定した「空」の理論などを読んできたのが、仏教への興味の入り口となりました。先ほど申し上げた禅を学んだのと同じ時期です。
そうするうちに、ひろさちや先生の著書に出会いました。ひろ先生は仏教学者なので、特定の宗派へのこだわりなく、古代仏教から密教、浄土宗、比叡山の鎌倉仏教まですべて公平に説明していましたので、かなりな量の本を買い込み読み漁りました。これが私の精神療法の基礎となっています。
私自身は一介の医師であって、仏教の導師ではありません。ですから私の考えではなく、「道元禅師はこう説いた、親鸞聖人はこういっている……」と患者さんに助言してきました。それで仏教的心理療法は成り立ちました。
そもそも精神分析的なことは、フロイトより1000年以上古い奈良時代の南都六宗の唯識論にすでに示されているわけですから、仏教的なアプローチが現在の精神療法に通じるのは当然のことです。

事業を継承するということは、新院長のやり方で患者さんお任せすること

――患者さんとの接し方という点で、特に気をつけてこられたことは何でしょうか。

(根岸先生)月並みの共感というのはありますが、まずは訴えにじっくりと傾聴すること、そして否定はせず、少しでも良い点を拾い上げて褒めることに心がけてきました。
患者さんのなかには、話に固有のバイアスがかかったエピソードが含まれるなど、ご自身でも混乱して整理のつかないケースが多々あります。
その絡まった意識を解きほぐして、核心の部分に少し触れてあげるわけです。

――70歳位で院長を退任することは、先生のなかである程度決められていたことですか。

(根岸先生)年齢的な前提はありませんでした。ただ、自分の診療スタイルを続けて患者さんが増えてくると、逆に私の心身がきつくなってきてしまいました。
カウンセリングでも、患者さんの訴えにベストな答を見いだせず、私自身が追いつめられるような壁に突き当たるような経験もしてきました。そうすると、ものすごく疲れるわけです。
その疲れが段々と積み重なり、2~3年前より、ある状態から体調が急変するようになりました。
このままこの先何年も続けていくのは無理だなと感じたのが、たまたま70歳位だったというわけです。

――今回、メディカルトリビューンと日本医業総研によるマッチングを経て丸山悟史先生が経営を引き継がれることになりました。丸山先生と面談された最初の印象、診てきた患者さんを託すことについてどう考えられましたか。

(根岸先生)あたりの柔らかな、感じのいい先生だというのが丸山先生の第一印象です。
私も西荻聖和を継承して、自分流のやり方でやってきました。
今後、継承で患者さんにとっては主治医が変わるわけですが、丸山先生にどうしてほしいという希望はありません。患者さんを丸山先生にお預けする以上、丸山先生のやり方にお任せしようと思っています。
患者さんにも、これまでのカルテや記録があるから、丸山先生にお願いすれば大丈夫だといってきました。

今回譲渡後の非常勤としてのご勤務をご紹介したメディカルトリビューンでキャリアパートナーとして医師の転職支援を担当する吉野 薫氏(左)。クリニックを譲渡する先生にとって、譲渡後の選択肢が広がることは大きな安心につながる

――現在は転職支援サービスを利用して、他院で週1日勤務されているということですが、体調などはいかがですか。

(根岸先生)まだ服薬は欠かせませんが、経営の重圧もなくなり、体調はずいぶんと快復したように感じています。朝、テレビの娯楽番組を観るなんてことは、これまでの人生で考えられませんでしたから(笑)。
現在、非常勤で務めている医療機関は、メディカルトリビューンの吉野さんにご紹介いただきました。体調と相談しながらですが、そろそろ週2日に増やすことも考えています。

きっかけは科学雑誌「ニュートン」の記事

――次に丸山先生におうかがいしたいのですが、先生は経済学部を1年で中退して、徳島大学の医学部に進まれました。元々、医療への関心があったということでしょうか。

(丸山先生)医学への関心より前に、たまたま読んだ雑誌の「ニュートン」に掲載されていた、タンパク質の構造解析に新たな道を拓いたノーベル化学賞受賞者の田中耕一氏の特集記事に目が止まりました。生物の授業はあまり真剣に受けてこなかったのですが、読んでみると人体でこんなことが起こっているのかと興味が沸きました。
そういう意味では臨床医ではなく、基礎研究に進みたいと考えての医学部への転身でした。

――そこから精神科医療に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。

(丸山先生)研究者になることを目標に、大学に入ってすぐ免疫学の教室で実験もさせてもらい、学会にも参加させていただきました。しかし、基礎研究は先輩指導者などを見ていても、自分でテーマを考えて取り組み、確実に成果を出さなければならないシビアな世界です。一方、念のための感覚で受けた臨床研修では研修しながら給料までいただけたわけです。安直といえばそのとおりなのですが、研修中に臨床医へと舵を切り替えました。最初は好きな臨床病理に進もうかとも考えましたが、病理に限らず今後はAIの応用などで一定の診断がつけられる時代になるかもと考えました。そこで、十分な医学的エビデンスがまだ確立されておらず、医師の手によって取り組む領域の広い精神科医療を選びました。

――千葉大附属病院や国保旭中央病院などの大規模な病院で勤務されてきての学びはどこにありましたか。

(丸山先生)入院患者さんについては、統合失調症や双極性障害などの症状の急変で緊急入院される患者さんもいて、最初は驚くことも多くありました。精神科といっても総合病院ですから疾患を因果論的にとらえ、内科疾患に合併する精神症状や妊婦さんの不安定な精神状態にリエゾンチームで対応するなど、他の診療科の方とも協調しながら勉強することができました。薬の処方なども、身体や合併症のデータに基づいて判断するように心がけています。

継承開業は「たまたま」の情報から

――ところで、開業を意識されたのはいつごろからですか。

(丸山先生)それが、まったく考えのなかにありませんでした(笑)。メディカルトリビューンの転職支援サイトに登録をしていて、情報を閲覧したときに、たまたま継承開業という方法とそのメリットを知り、急に興味をもちました。本当にたまたまの決断です。

――そういう意味では、根岸先生と同様に西荻窪に縁やこだわりがあったわけではないんですね。

(丸山先生)西荻窪には行ったことがあったかな、という程度で(笑)、地域の風土や医療環境などはまったく知りませんでした。

――継承開業とはいえ、丸山先生ならではの強みをどこで発揮しようとお考えですか

(丸山先生)医療提供上の強みとはいえませんが、予約制にしていないので、来院患者さんには即時応じるようにしています。多い日で10人ほど来られる初診患者さんにも何とか対応させてもらっています。

患者さんのアドヒアランスを重視した柔軟な対応

――具体的な診療報方針についてお聞かせください。

(丸山先生)根岸先生からは仏教的心理療法の実践もうかがっていましたし、通院患者さんもそれを欲されていると思われるので、正直なところ引継ぐことへの不安はありました。精神療法自体も得意とまではいえません。ですから根岸先生と同様に、まずは患者さんの訴えに傾聴し共感すること。そして、薬物療法においても、うつ症状だから定型的なSSRIを第一選択として勧めるのではなく、漢方も含めて複数の選択肢を提示し、患者さんの意見を尊重したいと思っています。患者さんがご自身の不調を受け入れ、一緒に治療を考えていくことが、結果的にアドヒアランスの向上につながると考えます。

――漢方外来は、根岸先生が始められたのですね。

(根岸先生)そうなんです。昔、漢方の専門家を招いて、漢方薬のアレンジをアドバイスいただいて、私自身も東洋医学会に入って処方を勉強していました。

――新設されたクリニックのホームページを見ると、基本的に18歳以上の方を対象としていますが、先生は児童思春期の経験もあるでしょうし、児童相談所の勤務経験も強みのように感じられますが。

 (丸山先生)病院では児童思春期の専門医がいましたから、私が専門性として打ち出すことは躊躇われました。一応18歳以上としていますが、実際は親を伴って受診する中高生は診ていますし、かつて児相に勤務していたことを知って相談にこられる方もいます。
ADHDなどの医療需要も少なくありませんが、病院では臨床心理士(公認心理師)などのサポートを受けて診断を確定させてきましたので、積極的に打ち出すことはしていません。患者さんの希望があって、私で診断をつけられれば治療はしますし、より専門的な検査を望まれる場合は、しかるべき医療機関に紹介を出すようにしています。

――患者さんの引継ぎ期間に根岸先生の診察に立ち会い、どんな印象を受けましたか。

(丸山先生)根岸先生が先ほどおっしゃったとおりで、私だったらつい言葉をかけてしまいそうな場面でも、患者さんのいろいろな話に静かに耳を傾けておられましたのが印象的で、私自身今後の接し方について勉強になりました。おそらく長年かけて積み上げてこられた患者さんとの信頼関係がベースにあるのでしょうが、カルテに記載されていないエピソードなども知ることができました。まずは、根岸先生のやり方を踏襲することが大事で、私のスタイルに慣れていただくまではしばらく時間がかかりそうです。

――院長を交代されてから、患者さんの増減はありますか。

(丸山先生)離れてしまった患者さんまでは把握できていませんが、引継ぎにあたって想定した患者さんは、ほぼ来院されていると思われます。引き継いだ初月は、初診を除き600人程度診ることができました。継承の立ち上がりの不安は今のところは解消できています。

――新患も着実に獲得されているようですが、どのような施策をされていますか。

(丸山先生)利用者の利便性を考慮して、今年から土曜日の診察時間を延ばしたほか、日曜日も終日診察するようにしました。仕事で平日に来られない方などが新患となっているほか、日曜診療を知った通院患者さんが来られるようにもなっています。患者総数としては徐々に増えていると実感しています。

――クリニックの将来像をどう考えてらっしゃいますか。

(丸山先生)将来のことより、今は開業医としての経験値を積み上げていくことと、来月、半年後、1年後をどう乗り切ろうかで一杯です。ですから、長期的展望というより引き継がせていただいた信頼を崩すことなくどう地域を守っていくか。そのためには、ある程度落ち着いたタイミングで、臨床心理士を雇用しカウンセリングや心理検査なども並行してできれば、カバーできる診療範囲も広がるかなと思っています。

スムーズに進んだメディカルトリビューン・日本医業総研による事業継承支援

――最後に両先生におうかがいします。今回のメディカルトリビューン・日本医業総研による継承支援サービスについてどのような印象をもたれましたか。

(根岸先生)継承の準備や諸手続きなどは、日本医業総研の担当、親泊さんがスケジュールに沿った形で滞りなくフォローしてくれました。私から変な質問も投げかけたこともあったと思いますが、その都度丁寧に対応いただけたことがとても良かったと思っています。

(丸山先生)先ほども申し上げたとおり、私は開業のことなど考えてもいなかったので、まるで準備不足でした。よって、初回説明から根岸先生との面談、職員の採用段取り、開始手続きなどすべてをお任せするしかありませんでしたが、まったくトラブルもなくスムーズに進んだことは本当に心強く感じられました。

(文責 日本医業総研 広報室)

※本内容は日本医業総研発刊の「2nd stage」に掲載された内容をweb掲載用に一部修正した内容となります。

Data
西荻聖和クリニック
診療科 心療内科 精神科
〒167-0042 東京都杉並区西荻北3-19-2富士ビル3F
TEL 03-3397-3050
https://www.nishiogi-seiwa.com

Profile
前院長 根岸 鋼 先生
医学博士
日本病理学会認定医
日本心身医学会専門医
日本医科大学 卒業
日本医科大学第2内科 入局
防衛医科大学第3内科 勤務
日本医科大学第1病理学教室 勤務
狭山神経内科病院 勤務
1987年 西荻聖和クリニック 継承開業

院 長 丸山悟史 先生
日本精神神経学会専門医
精神保健指定医
日本医師会認定産業医
2014年 徳島大学医学部医学科 卒業
2014年 徳島市民病院 初期臨床研修医
2016年 千葉大学医学部附属病院精神神経科 後期研修医
2017年 国保旭中央病院 神経精神科 医員
2018年 千葉県銚子児童相談所 勤務
2019年 袖ヶ浦さつき台病院 精神科 医員
2021年 西荻聖和クリニック 継承開業

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