クリニック第三者継承 成約事例インタビュー『石田医院』後編
事業承継の第一歩は、前院長の下で受けた臨床研修
開業を目指して医師になった
―それでは、ここから新院長に就任された林恭秉先生に話をうかがいます。先生のご経歴を拝見すると、早稲田の理工学部を中退された後に、金沢大学医学部に入学されています。元々、医師志望というのがあったのですか。
(林恭秉新院長)経歴だけを書くと一見格好いいのですが、最初の医学部受験に失敗したということです(笑)。早稲田はいわば仮面浪人のようなものですが、歯科医の父からは、医療の世界は医師にならないかぎり厳しいといわれてきました。それでも、医療をやりたいという気持ちは持ち続けていました。
―大学卒業後は虎ノ門病院で研修を受け、そのまま勤務を続けられてきたわけですが、開業というのは意識されていたのですか。
最初から私にとってのゴールは開業でした。もちろん医師になったからには、虎ノ門のなかでも競争の激しいがん治療に取り組みたいという気持ちもあったのですが、クリニックが提供する内科医療の大勢は生活習慣病に関連し、消化器、内分泌、代謝性疾患などとのかかわりが少なくありません。研修後の進路については、恩師からのお誘いもあって迷うことなく内分泌代謝科に進みました。
―承継開業は最初から視野に入れておられたのですか。
もちろん、新規での開業を強く考えていました。ところが、検討を始めたとたんに新型コロナ感染症が拡大し、開業環境が冷え込みました。開業の夢を断念することができずに悩んでいたときに目にしたのがメディカルトリビューン紙の事業承継案内でした。それから新規開業の可能性を捨て、承継案件に絞り検討しましたが、医療基盤がしっかりとし、一定数の患者数が保たれていたのが石田医院でした。しかし経営状態よりも石田先生に出会えたことが承継意思決定への起点となったと思っています。
―内分泌臓器は全身の部位にありますから、開業医となっても患者さんの全身状態を的確に評価できるという専門性が発揮できますね。
それはそうですね。自分が学んだ場だから褒めるわけではありませんが、虎ノ門のタフな臨床研修は有名です。そこで積んだがむしゃらな研鑽は、承継した当院でも活かせればと思っています。
―虎の門時代の先生は、内分泌学分野の研究論文などでも数多くの受賞実績があります。そうした最前線の医療への未練のようなものはありませんか。
ゼロとはいいませんが、私にとって過去の経歴はおまけのようなものです。業績といっても私の能力というより、職場環境であったり、恩師も含め、周囲の方々のサポートによるものだと思っていますし、私より優れた医師も数多く在席しています。
私がやりたかった道は、地域の人たちのための医療を提供することですので、虎ノ門出身の先達に倣い、しっかりと努め上げたいと思っています。
―具体的に、病院外来とは違う、どういう医療を実現したいとお考えですか。
私の診療スタイル以前に、まず石田先生の意志をしっかりと受け継ぎたいと思っています。約2カ月間、石田先生の後ろについて実診療を見学してきましたが、尿道カテーテルの留置、採血、点滴を取るなど、普通看護師に任せるような処置も石田先生ご自身で行っておられます。これが地域患者さんに真摯に向き合ってきた開業医の姿なのだろうと思います。石田先生には自然なことなのでしょうが、私にとっては患者さんとの和やかな会話一つが学びであり、医師人生で最高の指導者と出会えたと感じています。まるで研修医に逆戻りしたような、貴重な時間ご一緒させていただきました。
―これだけの広域な診療機能を引き継ぐことに不安はありませんでしたか。
不安はありましたし、石田先生も心配されていたと思います。ただ、引継ぎ期間中、本当に手取り足取りの指導を受け勇気づけられました。CT検査など、病院ではオーダーを出せば、ルーティンで放射線技師が動きマニュアル通りに画像が届きましたが、ここでは自分で患者さんを案内して、ベッドに寝かせ、位置を設定して撮影し、電カルにデータを送らなければなりません。
石田先生は電子レンジより簡単だとおっしゃいましたが、「いやいや、それは違うだろう」と思いつつも(笑)、明るい指導の下で、不安が徐々に払拭されました。
―そうしたなかで、内分泌領域など林先生の専門性は発揮できそうですか。
そういう患者さんが来てくれたらいいな、というところで、積極的に広告することは今はしません。
当院院長の基本はジェネラルに診る内科医でなければなりません。開業医としての王道は、あくまでも石田先生が実践されてきた医療をクオリティを下げることなくしっかりと提供することだと思っています。
―毎日60人を超える外来にくわえ、往診もあります。会議や当直勤務などのある病院とは直接比較はできませんが、忙しさという面では病院以上ではありませんか。
おっしゃる通りです。朝6時前に起床して7時にはクリニックに入り、帰りは毎晩11~12時です。
石田先生には奥様という裏方で支えてくれる片腕がいらしたわけですが、子育て中の妻にそれを求めることはできません。いまは一人で乗り切るしかありませんが、それだけのやりがいがあるのも確かです。
第三者承継で、それぞれが良い人生を歩む
―今回の事業承継におけるメディカルトリビューンのマッチングサービスと日本医業総研の承継実務についての忌憚のない評価をお聞かせください。
(石田前院長)先日いただいたアンケート用紙には「大変満足」にマル印を付けて返送しました。別にコンサルタントに気を遣っているわけではなく、本当に(笑)。
―林先生はいかがでしょうか。
(林院長)クリニック事業を引き継ぐなど、おそらく人生で一度きりだと思いますが、メディカルトリビューンの山本舞衣子さん、日本医業総研の加藤義光さんはじめ関係方々の丁寧なサポートに心強さを感じました。クリニック経営のしっかりとしたノウハウをお持ちなので、些細な相談事も他院の事例などを踏まえ的確に回答してくれました。
承継後のクリニック経営の継続に不可欠な会計事務所(税理士法人日本医業総研)への橋渡しなど、ビジネスライクな取引で終わらせることはありませんでした。そういう意味で非常に満足しております。
(山本舞衣子(メディカルトリビューン))石田先生には、ご多用のなか何度もお時間をいただき、複数の承継候補者をご案内させていただきましたが、最終的にベストなマッチングをご提供できたと思っています。担当させていただけたことを本当に光栄に感じています。
石田前院長 地域医療は親から子へリレーションするのが一般的で、とくに地方では多いのでしょうが、都市部では第三者承継のポピュラリティがいまの時代に即しています。この形態でそれぞれが良い人生を歩めればそれでいいのです。優雅な生活とまではいわないまでも、引退後のゆとりのある暮らしを家族に見せられることも大切でしょう。家族も喜んでくれています。私はこのインタビューのあと、映画を観に行く予定です(笑)。
林院長 私にも小さな子どもがいます。将来のことはわかりませんが、子どもが医師を目指したとしても、跡継ぎとしては期待しないことにしています。子どもには子どもの目指す道があるでしょうし、待っているうちに私も毎年確実に歳をとっていきます。先日、石田先生の奥様から言われたのは、「最後にどういう終わり方をするのかを考えておいた方がいい」ということでした。長年、院長夫人として石田先生を支えられてきた奥様ならではの至言です。
(文責 日本医業総研 広報室)
Clinic Data
石田医院
東京都府中市住吉町5丁目1-4 Mビル2F・3F
診療科:一般内科/糖尿病内科/内分泌内科/消化器内科/神経内科
前院長 Profile
石田 哲郎先生
日本神経学会 神経内科専門医
日本内科学会 内科専門医
日本小児神経学会 小児神経専門医
1974年 東邦大学医学部 卒業/東邦大学大分橋病院 内科研修医
1975年 東邦大学 内科助手
1976年 東京女子医科大学 小児科研究委員
1981年 東邦大学 医学博士号取得
1987年 東邦大学 内科講師
1988年 米国アイオワ大学 神経内科留学
1990年 東邦大学 内科助教授
1993年 石田医院 開設
新院長 Profile
林 恭秉先生
日本内科学会 総合内科専門医
日本内分泌学会 内分泌代謝科専門医
日本甲状腺学会 甲状腺専門医
日本糖尿病学会 糖尿病専門医
難病指定医
2004年 早稲田大学理工学部 中退/金沢大学医学部医学科 入学
2010年 金沢大学医学部医学科 卒業/虎の門病院 研修医/虎の門病院 後期レジデント/虎の門病院 内分泌代謝科フェロー
2016年 虎の門病院 糖尿病内分泌科医員
2022年 石田医院承継 院長就任
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メディカルトリビューンでは、新規開業や継承、税務・会計面で600件以上のクリニック支援実績(2022年10月時点)を持つ日本医業総研様と提携し、これまで地域医療に貢献してこられた開業医の先生方の豊かなリタイアメントライフを実現するご支援をさせていただいております。
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