クリニック第三者継承 成約事例インタビュー『秦野北クリニック』中編
医師の2nd Stageに選んだ地域医療のフロントライン
37年間にわたり地域医療を支えてきた「秦野北クリニック」は、2023年春、高度医療の第一線で活躍されてきた駒井好信先生に事業継承された。中編では新院長に就任された駒井先生にお話を伺った。
外科系志望から泌尿器科を選択
―――ここからは、駒井先生にも話をうかがいます。東京医科歯科大学卒業後は、少数派とされる泌尿器科に進まれたのですね。
(駒井先生)大学のポリクリで内科系を回ると、もう患者さん一人に対するサマリーがぎっしりとすごいんです。私はそこまでのリサーチマインドや基礎研究の志向がなく臨床をやっていきたいと思っていたので、最初は外科系に進むことを考えていました。そこで血管と肝胆膵を診る第一外科と泌尿器科の二択で悩んだのですが、体力的にはそれなりに自信があったものの、一外の先生たちが毎晩24時、25時まで院内にいる姿を見て、これを定年まで続けるのはどうかと……。たまたま剣道部の先輩が泌尿器科にいて、内科と外科がほどよくミックスされていて、最初から最後まで担当患者さんを診る診療スタイルに楽しそうなイメージがあったことと、医局全体にも明るい雰囲気がありました。当時の医科歯科大は学生や若手医師を快く受け入れてくれる雰囲気が満ちているような印象があり、部活のノリの延長で決めてしまった感じです。
―――いまおっしゃられた、患者さんを最初から最後まで診る。そういう患者さんとのかかわりに診療科としての醍醐味がありそうですね。
つい先ほども患者さんから電話がかかってきましたが、その口調は緊張している様子のない友人感覚です。初診して診断して治療する。泌尿器科の医療は手術だけでなく抗がん剤などの化学療法や最期の看取りまで担当します。内視鏡、手術、化学療法、緩和治療をすべて異なる医師が担当することが少なくない消化器腫瘍や呼吸器腫瘍と異なり。一人の担当医で医療を完結できるのは、泌尿器科の大きな魅力の一つだと思います。そういう患者さんとの濃密な関係性を築けることが医師としてすごくありがたい診療科だと思っています。
―――大学病院のほか、癌研病院などで手術支援ロボットなどの高度医療も手掛けておられましたね。
国立がん研究センター東病院が2014年に「daVinci」を導入しましたので、400~500例の経験を積むことができました。このまま日本でがん治療に取り組むのかなと思った一方で、漠然とした思いですが海外志向もあって、ニュージーランドやオーストラリアの病院50カ所以上にメールでアプローチしたこともありました。また、学会などで自分を知ってくれたインドの先生から依頼されてインド人泌尿器科医向けに講演したところ、2~3年インドで泌尿器科腫瘍の腹腔鏡手術をやりにこないかなどのお誘いをいただいたこともありました。
医師の2nd Stageに選んだ地域医療のフロントライン
―――高度医療の第一線でやられてこられた駒井先生が、開業を志向されることになった理由は何でしょうか。
一番は家族のことです。詳細は申し上げられませんが、新型コロナで世の中がガラリと変わった2020年、最愛の家族に自分の申請を見つめ直さなければならないようなことが起こりました。その後しばらくは勤務医として手術を中心に仕事をしていたのですが、心のなかで勤務医以外の選択肢ということを考える時期があって、実際に動き始めたのが昨年2022年の10月だったかな。秦野北クリニックを初めて見に来たのが11月3日の文化の日だったと覚えています。それから4~5カ月経って、いま内藤先生の後を引き継がせていただけるようになるとは、半年前には思ってもいませんでした。
勤務医時代はがんの専門病院に長くおりましたので、初診医から専門医に紹介されたあと、その先生からさらに紹介されるという立場ということで、医療の最後方から患者さんと向き合ってきた部分があります。しかし先ほど内藤先生がおっしゃられていた開業医というフロントラインの立ち位置、自分ですべてを完結するのではなく症状によって振り分ける医療があるのだと。私はがんセンターに16~17年勤務し、現在46歳です。これから残りの20数年の医師人生でいろいろな地域医療を経験して終えるのも面白いかなと思いました。
―――新規施設の開設ではなく、事業承継を選択された理由は何でしょうか。
私の実家が茅ヶ崎市なので、最初は地元茅ヶ崎での新規開業を考えたのですが、そこを前提に自己資金や地価などを考慮すると、基本的にビル診という選択になりますが、そうなると広さや院内動線などに制約を受けることになり、やりたいこともできなくなる可能性がありました。それより、すでに診療のサイクルがうまく回っている施設を活用させていただければ、と方針転換し、秦野北クリニックと出会うことができました。新東名が開通したことや、圏央道が便利になったことで、クリニックから茅ヶ崎まで車で30分弱と、実家からのアクセスも非常に良かったので「ご縁」を感じました。
―――勤務されてきた病院と違い、医療機能が限定されるなかで、どのような医療提供をしていこうとお考えですか。
本日は開業医となって4日なので、偉そうなことはいえませんが……。患者さんとのコミュニケーションは勤務医時代から好きでしたので、まず患者さんの話を真摯に聴くとこはこれまでと変わらずにやっていきたいです。また、一次診療の担い手として、こんな思い症状の患者さんを自分で抱えててはいけない、というラインがありますし、だからといって何でも他院に紹介すればいいというわけではありませんので、そのバランスの取れる医師になれればと思います。例を一つあげれば、患者さんが欲しい薬をただただ処方するのではなく、主に保険診療を行っていき以上、常に適切な医療とは何かを模索しながら医療を行える開業医でしょうか。経営のことも考えなければいけませんので、1年後にどのような考えになっているかはわかりませんが、イメージとしては患者さんの話をよく聴く、庶民の居酒屋の主人のような(笑)、そんな砕けた雰囲気ですね。私は案外嫌いではありません。
―――先生のご専門の泌尿器疾患ですが、クリニックという立ち位置から早期発見、早期医療介入の啓蒙をどうしていこうとお考えですか。
啓蒙という畏まったものではありませんが、YouTubeを利用したメッセージ動画の配信からスタートしようと思っています。ホームページも作成しましたが、読んでいただける方は少数だと思いますので、まず動画からリードしていこうと思っています。私の81歳になる母もYouTubeを視聴していますが、そうしたデジタルツールの活用については、ますます年齢のハードルが低くなるのではないでしょうか。
―――なるほど、動画配信ですか。
米国などでは50歳代の男同士で飲みに行くと、「お前のPSA値はいくつだ?」という会話が普通に交わされます。皆、自身の前立腺がんリスクを把握しているわけです。EDなども同様ですね。そうした男性のヘルスケアについても情報発信していきたいと考えています。
―――これまで内藤前院長が診てきた一般内科や慢性疾患の患者さんには、どのように対応されていますか。
新患も毎日来られますが、8割方は内藤先生の患者さんを引き継いでいます。高血圧や糖尿、高脂血症などの患者さんが多いのですが、内藤先生のこれまでの管理がしっかりとされていて、薬も安定し腎機能も悪くありません。患者さんには、私が内科ではなく泌尿器の専門医であることを伝え、それでも診察を継続していって大丈夫ですかとお伝えするようにしています。
―――今回の承継でスタッフが大幅に入れ替わりましたが、彼女たちに期待することは何でしょうか。
開業した先輩が人事で苦労していたので大分心配していましたが、今回のリニューアルで当院に集まってくれた方々は本当に素晴らしく、「本当にスタッフに恵まれたな」と実感しています。スタッフのなかには妻も含まれ、看護師長・兼副院長としてバックヤードをしっかりと固めてくれています。女性中心の職場ですから、私が直接口を出すよりも妻を中心に動いていただければうまくいく印象があり、それによって、私は診療に集中することができています。スタッフは皆さんが患者さんのことを考えて動いてくださる方ばかりですので、日々の業務を現在のペースで行ってくれれば、愛される秦野北クリニックになってくれるだろうと期待しています。
―――新たな標榜科目に漢方内科を加えられましたが、駒井先生はいつ漢方医療を学ばれたのですか。
これまで独学でやってきたのですが、ちょっとしたご縁から千葉市で「頭痛・漢方のらいむらクリニック」院長をされている來村昌紀先生とつながることができたことが本格的に漢方をやろうと思ったきっかけです。らいむらクリニックをはじめとする漢方を採り入れている施設を見学し、以前より來村先生主催の漢方勉強会にも参加させていただいております。
今回の開業にあたり、漢方内科標榜を勧めてくださったのも來村先生です。現在は最新の漢方診療を学ぶべく週1回、東海大学東洋診療科のご厚意で外来に参加させていただいております。3年間の修練が必要ですが、最短で漢方専門医を取得するよう勉強しております。
―――漢方の処方を受けられた患者さんはいらっしゃいますか。
開業しての4日間の新患のうち、お二人いて、一人は呼吸器系の疾患で新薬が体質的に合わないという方、もう一方は私が多くの症例に接してきた腹部症状を訴えていて、患者さんと一緒に漢方での治療法を探っていこうということになりました。