クリニック第三者継承 成約事例インタビュー『吉川整形外科』中編
地域に根差す―実践の過程で見えた医療の原点と目指すべき到達点
34年間にわたり吉川市の地域医療を支えてきた「金田整形外科」は、2023年春、事業継承により「医療法人社団昭明会 吉川整形外科」として生まれ変わった。中編では昭明会理事長の中川 厚先生にお話を伺った。
−−−次に、承継された中川先生からも話をうかがいたいと思います。先生は下関市のご出身で九州大学を卒業されましたが、臨床研修先に選ばれたのは杉並区の河北総合病院だったのですね。
(中川先生)私の卒業年度からスーパーローテート研修が始まったことで、地元のしがらみを逃れて自由な身で切磋琢磨してみようと考えたのです。まさか、そのままずっと東京に住むことになるとまでは思っていませんでしたけど。
−−−各診療科をローテートされて整形外科を選ばれた理由は何でしょうか。
元々外科系志望でしたが、私よりも体格のいい寝たきりの高齢者が、研修でお手伝いさせていただいた手術を受け、翌日には劇的に恢復し立って歩かれました。その表情からは、動けることの喜びを感じ取ることができました。若いころにスポーツで身体を鍛え上げられた経験をお持ちで、80歳になられてもなお矍鑠とリハビリに励む姿を見て、医師としてこういう人たちのお役に立ちたいと思いました。
−−−先生は2010年から1年間、長津田厚生総合病院で救急外来を経験されています。もちろん、整形外科領域のケガなども多いと思われますが、救急医療では、まず全身状態を早く、正しく評価する必要があります。救急外来は先生にとってどういう経験でしたか。
整形外科の先輩たちを手伝いながら救急を経験する機会をいただけましたが、意識障害の患者さんへの初期対応を指導医から叩き込まれたので、医療を離れた日常生活でも役立つかもしれませんね。
−−−2015年、36歳の若さで有床診療所の大谷田整形外科を承継されたのですね。
私の手術で患者さんを良くしてあげたいという気持ちは強くありました。麻酔科医の弟のつながりから承継のご縁をいただいての承継開業となりました。
−−−どういう医療提供に心掛けていらっしゃいますか。
地域のなかにいかに溶け込むかということです。医療機関では、地域のニーズや日常のお困りごとにどう気づくのかが大事で、受付スタッフに対しても、少しでも手の空く時間があったら待合患者さんの話を聞くようにお願いしています。ご家族のことなども含め、地域の皆さんが本音で相談しやすい環境を作ることから始まって、その結果が手術の実績値にも表れていると感じています。
−−−手術・入院治療を受けることができるのは患者さんの利便性にも配慮したクリニックの強みといえますが、患者さんの多くはなるべく保存療法を望まれるのではないかと思います。受けたい治療を患者さん自身が選ぶという前提で、どのような気配りをされていますか。
保存療法ならこう、手術治療ならこう、という提案はもちろんしますが、大事なのはどのようなケースであっても情報を一方通行にせず、患者さんの身になって一緒に考えるということです。私の父は歯科医なのですが、虫歯を削りましょうと言って拒否される患者さんはいません。ところが整形外科医から背骨が悪いので1~2週間入院して手術で削りましょうと言われたら誰だって躊躇します。患者さんにとっては怖くて当然なのですから、親身になって丁寧に説明すること、その結果私たちの提案を受け入れ、これまで1,000例近く積み上げた手術成果になっていると思っています。