クリニック第三者継承 成約事例インタビュー『かなやファミリークリニック(旧:はら医院)』前編

クリニックの事業承継は「衣鉢相伝」。大切にしたいのは、ビジネスモデルではなく人と地域のサスティナビリティ

左)原みさ子 前副院長 右)金谷 翼 新院長

杉並区の歴史は、先史東多摩郡に属した4カ村を東京都区部に編入したことに始まる。関東大震災後、都市部から空閑地を求めて杉並区への移住者が増えたが、なかでも、与謝野晶子、北原白秋、井伏鱒二など多くの文士の名が目を引く。津島修治がその名を太宰治に改め、執筆の拠点とした「碧雲荘(2017年湯布院に移築)」があったのも、同区天沼三丁目である。

旧「はら医院」は、方南町駅徒歩2分の好立地にある。方南町は東京メトロ丸の内線支線の始発駅で、新宿へも11分と利便性に優れる。善福寺川沿いの都立和田堀公園は、深い緑が寂たる静けさを保ち、池には翡翠の深緑に例えられるカワセミが棲む。父子2代に承継された「はら医院」は、以後の30年間、内科医で院長の原明博先生、小児科医で副院長の原みさ子先生ご夫妻が二人三脚で地域医療を守ってきた。

「はら医院」を承継したのは、若き内科医の金谷翼先生だ。循環器内科に高い専門性をもつ金谷先生だが、原前院長の考えと提供する医療をそのまま承継することを旨とし、内科全般のほか、小児科、アレルギー科、皮膚科、訪問診療も引き継いでいる。2022年4月1日、原ご夫妻の足跡と志は「かなやファミリークリニック」に確実につながれた。

1.5代目!? の事業承継

―――事業承継前の「はら医院」で、副院長を担われ、承継後の「かなやファミリークリニック」でも非常勤で小児科を診ておられた原みさ子先生からお話をお聞かせいただきだきたいと思います。旧はら医院は2代約40年間にわたって方南町の地域医療を支えてこられたわけですが、約30年前に創設者のご尊父から原明博先生に引き継がれた経緯をご説明いただけますか。

(原みさ子前副院長)「はら医院」の原点は一般的な事業承継とはややニュアンスが違うんです。主人の原明博は大学を卒業して4~5年目には、開業を目標にしていたようです。そこで、義父が定年退職を迎えるタイミングを図って、主人が費用を負担し、クリニックの地域基盤を構築する意味で義父に院長をお願いしたのです。

ただ当初、運営は楽ではなく、私と主人が病院勤務の傍らに週3日ほど診療に加わり何とか回してきました。というのも、義父は、それまで結核療養所の所長や保健所の勤務が中心で、臨床のキャリアはあまり積んでこなかったのです。その義父が75歳を過ぎ、代替わりしたのが、いまから約30年前のことです。

―――承継後は明博前院長が内科、みさ子先生が小児科という役割分担で運営されてきたわけですね。

承継した当時は診察室が一室しかありませんでした。後の改築で、診察室を増やしましたが、それまでは、処置室に机を持ち込み私が子どもを診てきました。

子どもが点滴を受けている横で、他の患者さんを診察していましたので、プライバシーも何もあったものではありませんでした。開設時は、子どもの来院をあまり想定していなかったのでしょうね。

―――前院長にとって方南町は地元開業ということですね。

主人にとっては子どもの時代から過ごした場所でしたから、かつての同級生など顔見知りも多く、お互いに昔のあだ名で呼び合うようなコミュニケーションが図られてきました。診療科としてはあくまでも内科をメインに、小児科とアレルギー科はサブ的な位置づけでしたが、承継後は予想外に子どもの患者さんが多く驚きました。近所の親御さんは昔からよく知る間柄が多いので、子どもを診せることに安心感があったのかもしれません。

―――提供する医療の基本はプライマリケアだと思われますが、そうしたなかで先生方それぞれの専門性はどのように発揮されてきましたか。

勤務医時代の主人は血液内科領域のなかでも、悪性リンパ腫を専門としてきました。先代からの承継後は周囲に血液疾患を扱えるクリニックがなかったことから、その分野での専門性は少数ながらも発揮できていたと思います。私の方は、小児科医療の延長でもあるのですが、アレルギーの需要が多かったという印象です。

―――創業から数えると約40年ですから、地域連携なども濃密なものが構築されてきたのでしょうね。

いまほどクリニックが専門分化していないころは、患者さんの多くが不調があるとまず内科の見知った医師に相談にこられるのが普通でした。いわゆるかかりつけ医ですね。ですから、まず当院での既往歴や検査で診断の目安をつけ、主人はよく紹介状を書いてあげていたようです。意識せずとも自然の流れで連携が図られてきました。

2世代、3世代にわたる小児科医療。30年間の深い感慨

―――長年の間には同一診療圏に競合クリニックが増えたと思いますが、「はら医院」は常に高水準の患者数が維持されてきました。経営的な視点から、どのような運営に心がけてきたのでしょうか。

特別なことはしていません。ただ、クリニックを承継して、まず始めに検診の実施に取り組みました。当時は、まだ定期健診に関する制度も整備されておらず、杉並区の行政サービスも個別の申込制だったのです。
ですから、初めて検診を受けたりワクチン接種を希望される方には当院での外来時に直接ご説明したり、葉書でご案内するなど、利用者の受診を促してきました。

―――かつて、みさ子先生が診てこられたお子さんもすでに大人になって、彼らの子どもたちが来院する。そんな30年の循環を振り返って感じ入るものがあるのではないですか。

私ども夫婦が子どもを授からなかったこともありますが、かつての患者さんのお子さん、お孫さんは無条件にかわいいと感じます。とくにかつて診てきた女の子が出産して連れてきてくれると、よくがんばったね、と心から祝福してあげたいし、一小児科医にとっての30年の地域医療はやはり感慨深いものがあります。

患者さんとスタッフを守るための選択肢。閉院から第三者承継へ

―――今回、クリニックを事業承継することに至った経緯をお聞かせください。

私自身は、元々ある程度体力の残っているうちにリタイアしたいと考えていたのですが、主人が5年ほど前に心臓病を患いました。手術を経て病気そのものは快復しましたが、趣味を楽しむことができず、手の動きもギクシャクして他院に紹介状を書くことにも難儀してきました。クリニックの方も、新型コロナ感染症拡大への対応に追われるようになり、体力的に無理が生じるようになりました。廃業することも選択肢の一つとしてありましたが、現在診ている患者さんや長年運営を支えてくれたスタッフの雇用先を確保できるのかが議論となりました。そうしたときに、目に留まったのがメディカルトリビューンから送られてきた案内FAXで、第三者事業承継という解決方法を知りました。そこで、同社と日本医業総研が主催するセミナーに参加してみて、具体的なメリットを知ることができました。

―――金谷翼先生と面談されたときの印象はいかがでしたか。

承継に手をあげていただいた金谷先生には、早くお目にかかりたいと心待ちにしていましたが、優しく、話し方も穏やかで開業医に向いた方だなというのが第一印象でした。昔の、権高な病院勤務医のイメージからは大分違っていて、時代が変わったことを実感しました。

>後編(金谷新院長へのインタビュー)はこちら

(文責 日本医業総研 広報室)

Clinic Data

かなやファミリークリニック
診療科 内科/循環器内科/小児科/アレルギー科/皮膚科

前副院長 Profile

原みさ子 先生

医学博士/日本小児科学会認定小児科専門医/日本アレルギー学会認定アレルギー専門医

東邦大学医学部卒業
順天堂大学医学部 小児科学教室入局
東邦大学大橋病院 小児科
はら医院 副院長
かなやファミリークリニック 非常勤

新院長 Profile

金谷 翼先生

医学博士/日本内科学会認定内科医/日本医師会認定産業医

2012年 東京大学医学部医学科 卒業/虎の門病院 前期研修医
2014年 横浜労災病院循環器内科 後期レジデント
2017年 東京大学医学部附属病院 循環器内科
2021年 東京大学医学系研修科 博士課程修了
2022年 かなやファミリークリニック(旧はら医院を承継)院長就任

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メディカルトリビューンでは、新規開業や継承、税務・会計面で600件以上のクリニック支援実績(2022年10月時点)を持つ日本医業総研様と提携し、これまで地域医療に貢献してこられた開業医の先生方の豊かなリタイアメントライフを実現するご支援をさせていただいております。
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