クリニック第三者継承 成約事例インタビュー『札幌メンタルクリニック』前編

地域の精神科医療を支え続けた27年間 事業継承で受け継がれる初志と信頼関係

左)岡田文彦 前院長(現:名誉院長)  右)安藤晴光 新院長

「札幌メンタルクリニック」は1995年に旧「岡島神経クリニック」を岡田文彦先生が承継したものだ。当時の精神科医療は、一部の総合病院や単科病院によって運営されており、競合はもとより、精神科を標榜するクリニックはまれな存在だったこともあって、「札幌メンタルクリニック」は、地域精神科医療ニーズの多くを寡占してきたといえる。現在は当然のことながら市内に競合が多く開院し、若い精神科医が活躍されているが、それでも当院は高水準な売上・利益が維持されてきた。そこに、岡田文彦先生の提供してきた医療の下で築いてきた地域との信頼関係がある。2023年、札幌メンタルクリニックの経営とともに、岡田前院長の初志・業績を引き継がれたのが、歳の離れた若き医師、安藤晴光先生だった。

大学紛争下での研鑽

−−−まず、前院長、現在名誉院長の岡田文彦先生からおうかがいします。先生が北海道大学医学部を卒業された1965年当時の医療環境からお聞かせください。

(岡田先生)私たちの頃は、卒後のインターン制度が残っていたわけですが、研修体制や条件の整備が不十分で、後に東京大学の無期限ストにまで発展したインターン闘争と記された時代でした。当時インターンで1年以上の実地修練を経ることが医師国家試験の受験要件だったわけですが、無資格のインターン生が地方で直接診療に加わることが常態化していて、私も方々の病院を回らされました。今だったら大問題でしょうが、それほど医師が足りていなかったのです。インターンを終えて大学院に進み、6年後に学位を取得しましたが、北大紛争で周囲の学生たちは相変わらず鉄パイプを振り回していましたから、ビクビクしながらの勉強期間でした。それから精神神経科学教室に入局したわけです。医局には10年間在籍しましたが、その間に室蘭市立病院や当時紋別にあった道立病院、稚内市立病院などに出張してきました。その後1976年から1995年まで助教授として北海道大学保管管理センターで診療をしてきました。

−−−精神科医療に進まれたのはどういった理由からでしょうか。

私の父が内科の開業医だったこともあって、私も自然の成り行きで医者になったようなものでしたが、子どもの目にもあまり盛況しているように思えないクリニックを見てきて、普通の医者ではないような仕事に就きたいと考え精神科を選びました。父が北大の第一内科出身なものですから、当時の第一内科医局長が自宅まで飛んで来られ強く入局を勧められたのですが、それでも私は自分の考えを変えませんでした。1970年代はまだ精神疾患患者さんへの偏見がすごく強くて、医療機関としては閉鎖病棟主体の精神科単科病院が中心的な受け皿を担っていました。精神科クリニックができ始めたのは、たしか1980年代後半ではなかったかと記憶しています。

札幌市の精神科医療を最前線で支えてきた

−−−先生が札幌メンタルクリニックを承継されたのは1995年でしたね。

そう、私が55歳のときです。承継した当時は「岡島神経クリニック」という名称でした。開業準備もないまま、私はその直前まで私は試験管を振っていました。

−−−臨床をしながら基礎研究もされていたということですか?

北大時代の10年間は神経内科的なあらゆる神経疾患を診てきました。とくにTGA(一過性全健忘)に力を入れ、「神経研究の進歩」という雑誌にも私の総説が載りましたが、北海道大学保健管理センターでは、北大学生や職員の診療と並行して、薬学部で抗うつ薬の研究を続けていました。その過程で、米国テネシー州のナッシュビルにあるヴァンダービルト大学に1年ほど留学して抗うつ薬の薬理作用機序を学んだほか、ロンドンの研究所で冷凍保存されている統合失調症を患った亡者の脳から統合失調症のGTP結合タンパク質を研究してきたのですが、死亡脳がサンプルのため結果にバラツキがあり、思うような成果は出せずにいました。しょうがないから開業でもしようかと考えたわけです。

−−−精神科医療では精神療法と薬物療法を車の両輪に例えて治療法を選択していくわけですが、岡田先生の基本的な診療の考え方をお聞かせください。

パニック障害の権威で、「赤坂クリニック」や「横浜クリニック」「鎌倉山クリニック安心堂」などを運営する医療法人和楽会理事長の貝谷久宣先生の影響を受け、専らパニック障害に対する支持的精神療法を中心に薬物療法を組み合わせてきました。また強迫性障害の治療では一般的に認知行動療法とSSRIの処方が第一選択となるわけですが、私が実施していたのは「3回確認停止法」というもので、手洗いが気になるのであれば3回まで洗う、ドアの鍵を閉めるのも3回までやっていい。ただし、1回、2回、と回数を数えて、3回目で止めることをルーティンにしました。これは結構効果があって、大抵は明らかな改善が認められる治療法です。英文論文にはしませんでしたが、臨床の成果は札幌市医師会でも発表させていただきました。

−−−現在、当院で診ている患者さんの訴えは、やはり抑うつ、気分障害といった症状が主なのでしょうか。

そうですね。一番多いのはさまざまな要因が基盤となった抑うつ状態、もちろん後に感情の波が生じて双極性感情障害になる人も含まれますし、希死念慮の強いうつ状態も少なくありません。それと今申し上げたパニック障害、強迫性障害、不安障害一般といったところです。

−−−高齢者に多い認知症はいかがでしょうか。

少数ですが、来られたら診るという感じです。大体はうつ状態でやってくるわけですが、当院ではアリセプト(ドネペジル)など認知症の進行を抑制する程度のものを処方するしかありません。札幌市内には認知症の専門外来が数多くありますから、基本はそちらにお任せしています。

職員の離脱と体調不良、そこから事業承継へ

−−−ところで、27年間クリニックを運営し、競合が増えた近年まで高水準な売上と収益が維持されています。この要因をどのように分析されていますか。

コロナ禍前までは来る患者さんを全部受け入れてきました。売上は患者数に比例するわけですが、野放図に診療時間など無視してきたものですから時間外勤務が常態化していた職員が破綻をきたしました。たしか2020年の3月に突然職員が辞めてしまい、診療を縮小せざるを得なくなりました。以後、午前中のみの診察としたことで売り上げも減少しましたが、2022年から月曜日と木曜日に午後診療を再開し、今年の4月の事業承継で安藤晴光先生に院長に就任していただき、ようやく売上・利益ともに元の状態の8割程度に回復したというわけです。

−−−後継者への事業承継をお考えになったのは、先生の年齢的なことが理由でしょうか。

引退を考え出したのは3~4年前ですが、今年に入ってから私自身に突進現象が起こるようになりました。MRI検査で異常な所見は認められず、パーキンソン病に特徴的な静止時振戦や筋強剛もないのですが、無意識に足がふらつく歩行障害が起き出したわけです。その原因を調べているのですが、私見ながら新型コロナワクチンが疑わしいのではないかと思っています。要するにエイズと同様にワクチンが免疫を阻害しているのではないかということです。この懸念は京都大学ウイルス・再生医学研究所の宮沢孝幸准教授も指摘されていましたが、私も4度目以後の接種は控えました。

−−−それで、弊社の渡辺に第三者事業承継の相談をもちかけられたということですか。

(渡辺昭宏/メディカルトリビューン)昨年の春先に弊社から事業案内のDMを送らせていただいたのですが、GW前に岡田先生から体調が芳しくないとの連絡をいただき、すぐにクリニックにうかがったのがきっかけです。
(岡田先生)あれも妙な出来事でして、急な発熱から救急車で運ばれたのです。ところがPCR検査の結果コロナの疑いがなく帰らされたのです。そのことよりも、渡辺さんに連絡した心配事がクリニック職員の欠員が埋まらず、診療の継続が難しい状態だったことです。この人員問題解決に渡辺さんはすぐに動きだし、助けていただきました。

−−−そこから事業承継へと話がつながったというわけですね。渡辺さんがマッチングをコーディネートした安藤晴光先生との面談での第一印象はいかがでしたか。

真面目そうな青年だと思ったことが一つ。それと、私は10年過ごした医局人事から逸れた医者ですが、びっくりしたことに安藤先生も初めから逸れ者なのです。そういう意味で、「あんた俺と似ているな」(笑)というのは感じました。

>中編(安藤晴光新院長へのインタビュー)はこちら

(文責 日本医業総研 広報室)

◆Clinic Data

医療法人社団 ほほえみ会

札幌メンタルクリニック

・診療科
精神科 神経科 心療内科

・所在地
北海道札幌市東区北12条東7丁目1 ワコービル5F

・クリニックホームページ

https://www.sapporo-mental.com/

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